鬼滅の刃の映画最新作が明日、2月3日から上映されます。
映画内ではめちゃくちゃ強い鬼「上弦の鬼」が集結します。
3年前に上映された劇場版で、みんな大好き煉獄さんを亡き者にした上弦の参 猗窩座(あかざ)も登場します。
猗窩座は日本全国で嫌われ者になっていて、私も最初は大嫌いでしたが、ある時から嫌いになれなくなりました。というか、宇髄天元の次に好きなキャラクターです。
猗窩座はとにかく「強くならなければいけない」ということだけを追い求めている鬼でした。
人間だった頃の猗窩座はスリを繰り返す犯罪者で、その頃から「強くならなければいけない」ともがいていました。
その犯罪は全て家族を守るために行なっていたもの。
家族や大切な人を守るために強くなりたいともがいている少年でした。
縁があって優しい師匠のもとで修行をして圧倒的な強さを手に入れた後も、大切な人たちを卑怯な人に亡き者とされて復讐。
その後、全てがどうでも良くなって鬼にされ、人間の時の記憶が無くなってしまっても、人間の時に抱いていた「強くなりたい」という思いだけを追い求めていた、かわいそうなキャラクターでした。守りたかったものはもう何一つ残っていないのに。
もともとの猗窩座が本当に優しかったんだとわかる、こんなセリフがあります。
「やまいで苦しむ人間は何故いつも謝るのか
手間をかけて申し訳ない
咳の音がうるさくて申し訳ない
満足に働けず申し訳ない自分のことは自分でしたいだろう
咳だって止まらないんだ
普通に呼吸できりゃあしたいだろう一番苦しいのは本人のはずなのに」
鬼滅の刃 18
いつも私が患者様に感じていることでした。
私はそんな「自分が辛い思いをしているのに謝ってしまうような優しい方」を救いたくて、「大切な人たち」を守りたくて理学療法士になって必死に知識・技術を高めるために日々頑張っているので、猗窩座がどれだけ辛かったかが痛いほどわかります。
同じような状況になったら私もおかしくなるだろうなと。
ものすごく泣ける良い巻なのでぜひ一度読んでみてください。
猗窩座はもともとの目的であった「大切な人を守る」ということを忘れて、手段であった「強くなる」が目的になってしまい、おかしくなりました。
理学療法士だけでなくセラピスト全般が「患者様を良くする」という目的があり、その手段として「コンセプトや手技」があります。
手技を極めていくと「手技を行うこと」が目的になってしまい、患者様をコンセプト・手技に当てはめてしまって、患者様が良くならないということがしばしば起きます。
そうならないように自分も気をつけないといけないなと日々思い聞かせています。
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